飲食店長のブログ ~ 人材戦略の実践レポート

実際に飲食店を経営しながら、そのノウハウを突き詰める

なかなか気色悪い違和感から抜け出せない

以前、分科会の尾身会長が「たぶん、間違いない」って言い方を使う事に疑問を投げかけた事があります。推測なのか断定なのかはっきりしてくれ!と思うからでした。

こういった、曖昧な言い方は昨今たくさんあります。言葉は文化ですからん徐々になじんでいくのでしょうが、私は、なかなか、なじまないタイプなので、違和感から抜け出せずウジウジしています。

たとえば、スポーツ新聞なんか読んでると「今日の試合は頑張りたい!」とか、言うてる場合がありますが、、なんで「頑張ります」じゃダメなの?と思います。

反面、「勝ちたい」とは言えても「勝ちます」って言えないのはわかります。結果に責任もてないから強引にきこえますもんね。

でも「頑張る」は自分たちの主体性の問題ですから100%頑張るわけです。それを「頑張りたい」という婉曲を使う理由は「もしかしたら頑張らないかもしれない」という要素を含むのです。「がんばります」でいいと思う。

他には「興奮しています」ってほんまに言うてんのか?と思う。外国人が「エキサイティング」って言うたらだいたい「興奮している」って訳されるけど、日本的な表現だと「ワクワクしている」とかじゃないのかな。日本人が、日本人に向かって「私は興奮しています」っていうケースって生活の中にありますか?。「すごく嬉しい」とか「たのしみだ」という事を表現しているんだと思います。

日本語で「私は興奮しています」って真顔で言うてる人は気色悪い。「あなたは興奮している。落ち着いてほしい」って言うのはわかりますが、自分で自分が興奮している事を伝えられても、違和感しかない。

ほかにも 「嬉しく思います」は「嬉しいです」でいいと思う。あんたはお公家さんか?と思いますわ。

 

伝えたいことは伝わってるから、そこは問題ないのですが、

私が思うに、プロ野球選手を見ても、一緒に働く学生さんをみても、「気色悪い」表現で伝えてくる人より、わかりやすくて単純な表現をしてくる人のほうが「伸びている」ように思います。

どの世界でもいっしょじゃないですかね。