大衆的な飲食店が求められている事のひとつに
「再現性」があります。
たとえば「同じメニューがいつも同じ味であること」です。
もちろん、美味しい事はとても重要ですが、安定していることも大切です。
一部には毎日違う食材を使って、毎日ちがったおいしさを提供してくれるお店もありますが、そんな中にも「定番」が存在したほうがいい。
超高級店であっても、料理の雰囲気やお店お雰囲気はいつも同じ高級感が必要です。
大衆店はいつも同じ親しみやすい雰囲気です。
サービスにおいてもある程度安定していて、そのお店らしさを出してくれるほうがいいです。個性も再現性があってこそ生きてくると言えます。
私のお店も、毎日違う人が働いていますし、出身地や言葉使いは違うのですが、いつのまにか同じような感じになってきます。
もちろん、こうやって「同じような感じ」になってくるお店は育成力のレベルが高いお店とも言えます。
飲食店が求められる「再現性」をもっと積極的に解釈したのが、チェーン店です。
同じ看板ならどのお店でも、同じ味・同じサービスをお約束しています。
チェーン店が50年以上前に日本に出現したとき、最初は衝撃的で近代的なものとして大ヒットしました。
当時としては高いレベルの味とサービスを全国で提供したからです。既存の大衆的な個人店よりも、美味しくて高いレベルのサービスを提供しようとしたのです。
チェーン店も既存の個人店を競争相手と認識して、各店が自らのお店のレベルアップにつとめました。結果、その存在は外食の意味を高め、飲食店のレベルを飛躍的に高めたと思います。
しかし、この「再現性の追求」はチェーン店と個人店では本質的に違ったものになってきたのです。いうなれば
「同じような感じもの」と
「全く同じ・強制的に同じもの」の違いです。
チェーン店が大きな組織になるにしたがって、
「同じことができる人を育てる」というよりも
「トレーニングしなくても、だれでもできる」を目指さざるを得なくなったのでしょう。
誰でもできる事はいい事だと思いますが、
何のトレーニングもされていない人でもできるシステムは何を再現しているのでしょうか?。
もはや、人さえ必要しない無人サービスは 顧客の求める「再現性」を実現してるのでしょうか
目指すは、
味やサービスの再現性なのか (言葉が悪いですが)バカチョンなのか・・疑問です。
高度な再現性の追求をしているお店はこれから希少化して、単価を高め、繁盛するでしょう。
本質的な味やサービスの向上を目指さず、「誰でもできる事」をフォーカスしたお店は陳腐化して、単価を高める事ができず、人材不足に陥るのではないでしょうか。
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