飲食店長のブログ ~ 人材戦略の実践レポート

実際に飲食店を経営しながら、そのノウハウを突き詰める

マスク任意化がはじまりました?

 

 

いよいよ 社会的な「マスクからの解放」がはじまりました。

 

「マスクの任意化」というのがスマートな言い方なんですな。

 

 

「ほんとうに生活にマスクは必須なのか」という議論はなかなかすすみませんでした。

 

ツイッターやテレビとかで「マスクの自由化」を事を言う人は、どちらかというと過激な人に見えてしまって、みんなの事を考えていない乱暴な人のような見られ方だったと思います。

 

でも「マスクの任意化」だったら 言いやすいし聞きやすいですね。

 

外国ではマスクをしていない事が明らかになっている昨今・・・

 

従来通り

「体調の悪い人がマスクをして、普通の状態ではマスク無し」

でいいんちゃうかなと思いました。

 

っていうか、マスクを「マナー」にしたり、「常識化」させようとすることは避けてほしいと思っていました。そんなん結局無理でしょうから。

 

「日本の常識は世界の非常識」みたいな事になるのも良くないとと思いましたし、マスクによって表情を見せずに築かれていく人間関係は、必ずしも良くない、とも思っています。

 

今や、ワールドカップの中継で、満員な観客がマスクしてない映像が流されているのです。これを見ると、日本だけが取り残される感じさえします。

 

これまでは、マスクについて、こんなふうな事をいうと 「反社会的な言動」になってしまいそうなので、書けませんし言えませんでしたが、

 

大きな企業さんが「マスクに任意化」を打ち出してくれれば、社会のプレッシャーは減って来ると思います。

 

そうなれば「意味の無いアクリル板」とかも整理されてくるんじゃないでしょうか。

 

 

この写真のように

テーブルにつけられているだけで、人間の横はフリーになっているアクリル板なんか、絶対に無意味だと思っているのですが、結構大きな企業様が客席にとりつけています。

販売カウンターでは店員とお客さんの間をアクリル板で仕切って、マイクとスピーカーまでつけているのに、客席は論理的にいいかげんです。

 

何に対してアクリル板をつけているのか 販売カウンター対策と客席対策の論理的ギャップを感じざるを得ません。

 

つまり、意味は無いのです(心理的な抑圧感とか、企業としてのやってる感的な意味はあるかもしれませんが・・)

 

 

 

こういう 事はそろそろ卒業できないかなああ、と思うのです。

「任意化」って使いやすいことばですね。キーワードになるかもしれません。