飲食店長のブログ ~ 人材戦略の実践レポート

実際に飲食店を経営しながら、そのノウハウを突き詰める

「一定の成果」って「そこそこの成果」ってことだ。馬鹿にしてるのかな。

毎日、マスコミを通じて、政治家の言葉をきかされていますが、その意味をよく考えないといけない。

最近よく聞くのは「一定の成果」という表現である。

「飲食店における酒類の販売自粛は一定の成果を出している」と言われています。

 

国語辞典によれば、「一定の成果」とは「そこそこの成果」に言い換える事ができて、「十分ではないが一応のレベルにある事」を表しています。

その例文としては「市長の政策は一定の成果を挙げたが、地元の人たちには不人気でした」というふうに、求めるレベルには足りなかった事を表しています。

昨今、

飲食店禁酒令で感染者が減った感じでがするので、「一定の成果」と表現していますが、本当にそういう評価でいいのでしょうか。


感染者を減らしたい、感染を抑えたい、、

⇒そのためには飛沫を飛ばす会話を無くしたい、

⇒したがってマスクをはずす飲食時の会話を無くしたい、

⇒そうやって、飲んで騒ぐ人をなくしたい。

つまり飲食時だけでなく飛沫の飛ぶ会話を無くしたいんですね。

ですから感染源は「飛沫を飛ばす人」です。

で、飛沫を飛ばす人を罰したり、取り締まったりしたいのですが、できない。

ですから飛沫を飛ばしそうな場面を減らしたい。

飲食店で普通に(家庭内のように)飲食する場面自体は問題ありません。(仮にお酒が入ってても)。でも、お酒が入ったら、飛沫が飛ぶような声で会話をしようとする人が多くなると思うから、飲食店を禁酒にしました。

原因と改善策にズレがありますね。

「風が吹いたら桶屋が儲かる」みたいな話。 


飛沫を飛ばす人に対する法律が作れない、全店営業停止命令を出す事もできない。なぜか?「私権制限だから」です。何とか法律の解釈を駆使して期限を区切って地域を指定して飲食店の酒類販売停止を「要請」する事は企画できた。だから、今、やっています。

 

で、禁酒要請に従ってくれないお店と、行政が戦っています。

 

戦う相手が違います。


本来戦うべき「飛沫を飛ばす人たち」は

路上でゆったり酒を飲みたばこを吸っています。それを見たお店は、「飛沫を飛ばす人たち」をお店に集めて、酒を飲ませ、さらにたくさんの飛沫を長時間にわたって飛ばしています。そこが「感染源」です。ここを制すれば、「一定の成果」なんかじゃなく「本当の成果」を得る事ができます。

「一定の成果」なんてことをいってるのは「本当の成果」が出ていない事、出せるんだけど努力していない事」を表現してるんじゃないのか。

 

国民は「一定の成果」にだまされてはいけないね。

行政の突っ込みが足りないため、

飲食店長たちが求められる自粛をしながらも、

必死に営業している努力が「そこそこの努力」

と言われているのとおなじです。

悔しいです。


ここまでやるなら、ちゃんと成果だそうや。だからいつまでも、延長せなあかんねん