専門書によると
「法は倫理の最低限度」。 これは法学入門で習 う、法と倫理の関係に関する基本原則です。 要 するに、社会におけるルールをすべて法で定める ことはない。 これだけは国家権力による強制力に よって是非とも守らせなければならない「最低限 度の規範」だけが、法として定められるという意 味である。
とされています。
だからこそ、裁判では長い時間をかけて、どう判断すべきかが議論されるのでしょう。最も論理的かつ民主的な判断を探すからです。
最初から細かい事まギチギチに決まっているならば裁判は即決です。
一部の独裁国家では「法は倫理の最低限度」の原則が守られていません。ですから、すぐに判決が出て死刑が執行されたりするのです。
これを飲食店経営のケースで考えると
「規則・マニュアルというものは従業員の行動のすべてをしばるためにあるのではない。」
となります。
全てのお客様にとって正しい事だけがマニュアル化されます。しかしそれは最低限の基準であって、ほとんどのケースでは「何がこのお客様にとって最適なのか」の現場判断が基準になります。
ですから私は、マニュアル的な決めつけはしません。「この場合はこうしたほうが良い」というだけです。
もちろん これも「絶対服従」でもありません。
アルバイトさんの中には、「いつもルールを探している人」がいます。上司にだけ気を遣う人、言われた事が「おかしいなあ」と思いながらやる人は、間違った行動そ指摘されても、その間違いを認めません。根拠を正確に把握できないからです。
自分の判断基準を持っているはずなのですが、
店長や先輩言ったことを厳守しようとします。気を使っているのか、責任逃れなのか・・・
お客様に不利益な行為でも「上司に言われたから」を平気で実行します。
これは危険行為であり悪事です。
私はこういう人物を見逃しませんし、絶対に許しません。寛容さは捨てて、とことん指摘します。
なぜなら
こういう人物は将来「本来賢いはずなのに、部下から疎まれたり、独裁者的なマネジメントをしてしまう人」だからです。組織のルールにとらわれチームや人間を壊す人だからです。場合によってはルールを悪用する人でもあります。
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たとえば、
アルバイトさんが上司に言われてお客様のテーブルに何かメニューを持っていたっとしても、お客様にとっては不適切なタイミングだった場合、自分の判断で持っていくタイミングをずらす事もできます。
私は、指示やマニュアルがどうであっても、最終責任者は自分だと思って、お客様にとってベストな判断をしようとする人を求めています。日常においてもその判断基準を醸成するようなトレーニングをします。
最終的な基準は「お客様と自分との間に発生するもの」だと思ってほしい。
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